究極のカウンセリング

お盆も近くなってきました。この時期になると亡くなった人のことを思い出します。

昔、カウンセリングを学び始めた頃「究極のカウンセリングは、死を目の前に迎えている人に対して」と聞いたことがありました。その時は、まだ若かったこともあり、分かったような分からないような・・、薄らぼんやりした感覚だったのを覚えています。

それから今までの長い年月の間に、私は母と幼馴染みの二人、その究極の場面に相対しました。

母はガンに冒されながらも、しなやかに生きていました。が、ある時「もうアカンわいや…」とポツリと二人だけの時に言ったのでした。

私は “ あ~ もう逝ってしまうのだな。母は自分の死を悟り覚悟を決めたのだな ”と感じました。私は何も答えることができず「うん…、うん……。」としか言えられませんでした。

母はお医者や看護師さん達から「生きてご飯を食べれているのが不思議」とまで言われ、それでもしなやかに生きてきたのでした。私はその頑張りに頭が下がり “そうだね…、頑張ってきたよね… “ との気持ちだったのです。

もちろん、もっと生きていて欲しいとの願いもありました。しかしその願いを伝えることもせず「そんなこと言わずに頑張ろう」と励ますこともせずにいました。出来なかった。。

うなづくしかなかった。「うん…、うん……。」としか言えなかった。そして次の日、母は人生を全うし安らかに旅立ちました。

幼馴染みもガンでした。病室のベッドの上で力なく横たわったままの幼馴染みと最後のテレビ電話でした。幼馴染みは言いました。「こんなんなるんやな…」

子どもさんの一人が結婚していないことを心配していたので、そのことを言いたいのだなとすぐ分かりました。私はただ「こんなんなるんやな… って…?」と返すしかありませんでした。

すると「悔いが残るっていうか…」との言葉。私は「そうか… 悔いが残るか……… 」うなづきながら、それだけしか言えませんでした。幼馴染みは「うん… 悔いが残るっていうか… 」と同じ言葉を繰り返しました。そして「また話そうね」と電話を切りましたが、それが最後の会話となりました。

死を目の前にした人に対して、励ましの言葉も気のきいた言葉も何も言えない自分がいました。

そんな自分が情けなくもあり、また心と心がしんそこつながった人との会話って、こんなものなんだろうな。。そんなことも感じています。

私はまだまだ未熟ですが、少しでも皆様のお力になれる懐の深いカウンセラーになりたい、柔軟性のあるカウンセラーになりたい、そう思っています。そのために自己研鑽をしてまいりますので、今後ともどうか宜しくお願いいたします。