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深い悲しみを持った人が、その悲しみを客観的に理解しやがて元気を取り戻していかれるために作りました。
ご参考までにお読みください。
🍂喪失体験とグリーフワーク
私たちは人生の中で、何度かの人やペットの死を体験します。人生において最大の悲しみは「大切な人を失った時」と言っても過言ではないでしょう。大切な人を失うことは計り知れないほどの悲しみが押し寄せてきます。特に、肉親、配偶者との別れは、一種のパニックに近い情緒不安定になる場合があり拭い去ることのできないほど、心的な不安定感が長く続きます。
そのような体験を喪失体験(グリーフ)と言います。しかし喪失と言うのは死別ばかりではありません。
喪失体験(グリーフ) の例
・家族や恋人・友人などとの別れ(死別・別離)
・ペットの死
・大切なものを失くした 壊してしまった
・失業 失職 社会的地位から失脚
・受験の失敗
・子どもの独立・成長
・形がなくても自分にとって、大切な意味のあるものを見失う
上記以外にも、自分の心の中で「唯一の大切なもの・価値あるものを失う」全てに当てはまります。
また、心的な反応は急性反応と持続的な反応があります。
<急性の情緒危機>
心的ストレス反応としての情緒危機は急性におこり、比較的すみやかに回復して行きます。
しかしときには、激しい衝撃を受けて感情的に興奮し、パニック(恐慌状態)を起し、そのため自律神経の乱れや感情の麻痺、苛酷な現実に直面している悲惨な自分と、それを見ている冷静な自分とに、人格が分裂してしまうような精神状態を起すことがあります。
<持続的な悲哀>
突然の事故、近親者の急死、恋人との思いがけない別れ、退職を通告された瞬間に、不安を中心とした心細さ、挫折感からどうしようという模索の心理が続きます。
これらの情緒危機が次第におさまり、一定の適応状態を回復するにつれて、今度は悲哀の心理が始まるのです。
フロイトはこのような悲哀の営みを、「悲哀の仕事」と呼びました。ここでいう「悲哀」とは、愛する対象を失うことによって引き起こされる、一連の心理過程のことです。失った対象が自分にとって大切もので、あればあるほど、その対象に依存していれば、いるほど、私たちはこの苦痛に耐えることができません。これは何かの間違いだ、という現実否認の気持ちが強く、相手がもういないことは頭で分かっていても、どうしても会いたいという思慕の情は、決して消えるものではないのです。
この悲哀の心理過程は、半年から一年位続くのが常ですが、その間に人々は、失った対象に対する思慕の情、悔やみ、恨み、自責、仇討ちなどの心理をはじめ、その対象とのかかわりの中で抱いていた、さまざまな愛と憎しみのアンビバレンスを再体験します。この過程を通して、その対象とのかかわりを整理し、心の中でその対象を安らかで穏やかな存在として受け入れるようになっていきます。
しかし、現実社会ではたとえどんなに激しい衝撃を受け、悲嘆の極に置かれていても、社会人としての役割を果たすことが出来なければ、社会的人格を全うすることはできません。そこで、対象を失った不安からすみやかに立ち直り、社会生活や世間への適応をはからねばばらないのです。
対象を失ったものが直面するのは、この極めて実際的な課題であると言えます。失った対象と二人っきりになりたくてもその気持ちを抑えて、もっとも世間的な仏事の儀式や集まりの中で暮さなければならないのです。
本当の悲哀の心理は、むしろこの緊急事態が終わり、静かな生活に戻ってから、一つの悲哀の作業を一通りやりこなすことがその人の心の本格的な課題になると言えます。本当にお別れできるのはそこからなのです。
もしも、悲哀の一連の作業の途中で、この営みを中断してしまったり、その苦痛から逃避してしまう場合には、失った対象は、心の中で荒れ狂い、その人を脅かすこともあれば、悔やみや自責の念を呼び覚ますこともあり、ときにはその人の心をずっと苦しめることもあります。
<表現の仕方>
大切な人を失った時に悲しい気持ちが沸いてくるのは当然のことです。その全ての喪失感に問題が起きるわけではなく、同じ喪失体験をしたとしても、人それぞれ反応が違っています。
・悲しみを素直に表せる人
・悲しみを共に分かち合える人がいる人
このような人たちは、この喪失感から立ち直ることも早いのではないでしょうか?
また、あまりに強い悲しさに対して上手く向き合う事が出来ないことがあります。そして次のように
●
・人に知られるのは恥ずかしい
・このくらいのことで・・・
・どうせ話しても誰も分かってくれるわけがない
・私が我慢しなければ
・泣くのは恥ずかしいことだ
・私が泣いていてはいけない
このような考えから、しっかりと悲しめないままになってしまう人もいます。悲しい出来事に対してしっかりと悲しまないと、整理のつかない悲しみは後遺症のようにいつまでも心の中に留まってしまうのです。
自分の心の奥に本心を押し込めてしまったとき、その時はすぐに症状が出なくても後々に、非常に大きな問題に発展するケースが出てきます。うつ病やパニック障害などの精神疾患を引き起こしてしまう可能性もあります。
悲哀のプロセス
1.3つの反応
1)否認
大切な人が亡くなったという報告を聞いたとき、すぐにすんなりと受け入れることが出来る人はいないのではないでしょうか。
「〇〇さんが亡くなってしまったそうです」と初めて聞いた時、あまりのショックで、普通の精神状態ではいることは出来ません。冷静に気持ちの整理が出来、対応できる人はいないのです。ショックな出来事のなか、私たちが一番最初に取る反応は「えっ!うそでしょ?」「そんなはずはないわ」「何かの間違いではないの?」と、その事実を受け入れないことです。これを否認と言います。
2)絶望
否認を続けても、残念ながら現実が変わるわけではありません。やがて「あの人は本当に居ないんだ・・・」と現実に直面する時がやってきます。お通夜や告別式などの葬儀や、遺品の整理などで現実に直面することは、現実的に否認することなんてもうできないのです。
すると次にやってくる反応は、 「あの人がいないなんて、人生真っ暗だ・・・」「もう何も考えられない・・・」という絶望です。
3)受容と回復
絶望は非常に苦しいものです。しかし絶望の中あっても、自分のつらい気持ちと真摯に向き合い、また他者と自分のつらい気持ちを共有していくことは、私たちは少しずつ気持ちに整理をつけていくことに繋がります。
気持ちの整理がある程度出来ると、「あの人がいなくなってしまったことは悲しいけども、前を向いていかなきゃ」「○○さんも、私が絶望的になることは望んでないはずだ」と徐々に現実に目を向けられるようになり、また悲しいながらもそれを受け入れて日常生活を再び送れるようになります。
大切な人を失ったという事実が消えるわけではないため、元の精神状態に完全に戻るわけではないし、悲しみがゼロになるわけでもありませんが、悲しみを抱えながらもそれを受け入れて日常生活を送れるような精神状態に回復していくのです。
このような経過をたどることで、私たちは大切な人を失ったつらい悲しみを乗り越えていくのです。
2.大切なのは悲哀プロセスをしっかりと踏むこと
否認 ⇒ 絶望 ⇒ 受容・回復
この3つのプロセスが、大切な人を失った時にたどる典型的な経過だとお話しましたが、これはこのような経過をしっかり踏まないと気持ちの整理がつかないというものです。
否認のまま止まっていたり、絶望から受容・回復へ進めなかったりすると、いつまでも悲しみの整理が出来ず、いずれ日常生活に大きな支障を来すようになっていきます。
この悲哀プロセスを送ることを「グリーフワーク(grief work)」と呼ぶこともあります。「グリーフ(grief)」は悲しみ、「ワーク(work)」は仕事や作業のことですから、グリーフワークと言うのは、「悲しむ仕事」と訳すことができます。
これは非常に的を得た用語です。
グリーフワークは、「このように悲しんでもいい」というものではなく、「このように悲しまないと気持ちの整理がつかない」という「仕事や作業」のような一面を持つものなのでしょう。
もちろん、悲しみ方には人それぞれのやり方があるでしょうし、「このような経過をたどらなきゃいけないから」と機械的に行うものではありません。自分なりのやり方で、悲しい事があってもうまく適応できているのであれば、それはそれで問題はありません。
しかし大切な人を失ってある程度の時間が経っているのに、いつまでも気持ちの整理が出来ていないのであれば、自分の悲哀プロセスはこのようなものから大きく外れていないか、グリーフワークとしっかりと行えているのか、今一度確認してみる必要はあるでしょう。
3.悲哀プロセスをしっかりと踏まないとどうなる?
大切な人を失った時、悲しみを抱えながらもそれを受け入れで気持ちの整理をつけるためには、悲哀プロセスをしっかりとたどり、グリーフワークを行う事が大事だとお話しましたが、このグリーフワークをしっかりと行わない場合はどうなってしまうのでしょうか。
いつまでも悲しい気持ちに整理がつかないと、徐々に日常生活が普通に送れなくなっていく可能性があります。大きな悲しみを常に抱えたまま生きていれば、日常的な仕事や種々の作業などに大きな支障を来すのは明らかです。
ひどい場合は、何にも手が付かず、外に出るのも怖くなって家に引きこもりがちになってしまうこともあります。うつ病などの精神疾患を発症してしまうこともあります。
実際に、グリーフワークをしっかり行えずに止まってしまう、2つのケースを見てみましょう。
Ⅰ.否認で止まってしまうケース
グリーフワークの失敗の中で多いものの1つが、否認から抜け出せないというものです。
大切な人が亡くなってしまった時、「そんなはずはない」と現実から目をそらしたままで経過してしまうことです。
例えば、大好きな人が急に交通事故で亡くなってしまったとしましょう。昨日まで一緒に楽しく過ごしていた最愛の人が突然亡くなってしまうのは、当然とても大きなショックです。すぐに受け入れられないのも無理はありません。しかし、ずっと「そんなはずはない」「何かの間違いなんだ」と現実を否定していると、いつまで経っても気持ちは整理できません。
更に良くないのは、否認が強い方は「現実と向き合うのが怖い」という心理から、葬式などの現実に直面せざるを得ない儀式への参加を拒否してしまうことがあります。また、亡くなった方の家族からの連絡も拒否してしまったりと、その出来事に関連すること全てを避けてしまうのです。
このように現実を受け入れなることを拒み続ければ、いつまで経っても心は解放されません。
「あの人はいないんだ」という現実に薄々気づいている心とそれを受け入れない心が葛藤し、心は徐々に疲弊していき、日常生活にも支障を来し始めます。次第に仕事に行けなくなったり、うつ病などの精神疾患を発症してしまう可能性もときにはあります。
否認から絶望に進むためには、「現実と直面する」必要があります。辛い現実を目の当たりにしないといけませんから、これは非常につらい作業になります。避けたくなるのも無理はありません。でも、ここを超えなければいつまで経っても心は解放されず、気持ちは前を向かないのです。
否認から絶望へ進む、つまり現実に直面するために、葬式などの儀礼はとても重要な役割を果たします。こういった儀式に参加すれば否が応でも「あの人はいなくなってしまったんだ・・・」と向き合うことになります。また亡くなった人とゆかりのある人たちと連絡したり会ったりすることも同様に現実と向き合うためには大切なことです。 つらいことですが、これは気持ちの整理をするために必須であるひとつのステップなのです。
Ⅱ.絶望から抜け出せないケース
否認から絶望へ進んだけども、気持ちの整理がいつまでもつかずに受容や回復に至れないケースも少なくありません。
大切な人が亡くなって最初は否認していたけども、葬儀に参加した事で「あの人は本当にもういないんだ・・・」と現実に直面した。しかしその後、絶望という非常につらい中で気持ちの整理がいつまでも出来ず、現実を受け入れて気持ちを回復させていくことができないというものです。
絶望の状態が長く続けば、先ほどのケースと同じように徐々に日常生活に支障が出てきます。
絶望から、受容・回復に至るためには、十分な時間をかけて「大切な人がいなくなった現実と向き合うこと」、そして「つらい気持ちを一人で抱え込まずに話すこと」が大切です。
忙しい日常に忙殺されて、大切な人を失った自分のこころと向き合わなかったり、「気持ちを人に話したからといって何かが変わるわけではない」と考えてつらい気持ちを自分の中に溜め込んでいると、いつまで経っても絶望した気持ちの整理はつきません。
4.グリーフワークを上手に行うために大切なこと
大切な人を失い、大きなショックを受けるのは当然のことです。
しかし私たちは、いつかはそこから立ち直らなければいけません。大切な人を失った事実は変えられないけれども、それを受け入れて生きていかなければいけないのです。
グリーフワークを上手に送るためには、どのようなことに気を付ければいいでしょうか。
Ⅰ.儀式には参加する
お通夜、告別式、四十九日など、人が亡くなった時には儀式がいくつかあります。最近ではこういった儀式が昔と比べて軽くみられる傾向がありますが、実はこういった儀式は気持ちの整理をつけるために非常に重要な役割を果たしてくれます。
葬式に参加することで、大切な人がいなくなってしまった現実にイヤでも直面します。そうなれば、否が応でも否認はできなくなり次のステップに進みやすくなります。
また、こういった儀式には故人と関係のある人が多く参加するため、故人を失った悲しみを共有しやすく、これも気持ちの整理につながります。
Ⅱ.気持ちを押し込めない
特に男性では、「泣く事は恥ずかしい」「弱音は吐いてはいけない」という考えを持っている方がいらっしゃいます。これが極端だと、グリーフワークを上手に行えなくなってしまうことがあります。
大切な人を失うことは本当に大きな悲しみです。これを悲しまなかったり、悲しくないふりをすると、心に大きな負担がかかります。
とても悲しいのに「男なんだから泣いたらダメだ」と悲しみを表に出すことをこらえたり、「悲しんだってあの人が戻ってくるわけじゃない。強く生きないと」と、悲しまずに強気でふるまい続けるのは、精神的にはあまり良い事とは言えません。
これは、自分の中にある「悲しい」という感情と向き合うことを避けているということになります。
悲しいという感情がそこにあるのに、それと向き合うことを避け続ければ、いつまで経っても悲しい気持ちの整理がつくはずもありません。整理がつかないため、自然と消えていくこともなく、いつまでも心の中でくすぶり続けることになります。
悲しい気持ちがあるのであれば、それを乗り越えるためにはその悲しさがあることを認めてあげなくてはいけません。悲しむことは弱いことでも情けないことでもないのです。
大人だって、本当に悲しいことがあれば大泣きすることだってあるのです。それは人間として普通のことであり、全くおかしいことではありません。
Ⅲ.つらい気持ちを隠さずに話そう
絶望から受容・回復に向かうためには、ある程度の時間が必要ですが、時間さえ経てば勝手と治っていくというものではありません。しっかりと悲しみ、気持ちの整理をしないと、整理がつかない悲しみはいつまでも心の中に留まり続けます。
気持ちの整理をするためには、「Ⅱ.気持ちを押し込めない」ことも大切ですが、もう一つ大切なのは「話すこと」です。誰にでも話せることではないので、できればあなたにとって親しい人や故人を知っている人に話を聞いてもらうのがよいでしょう。もちろんカウンセラーに話すことは守秘義務に守られ誰にもばれず得策だと思います。話したからといって、何か現実が変わるわけではない!と思われるかもしれません。
しかし気持ちの整理を付けるために、話すことというのはとても大切です。話していく中で自分の想いや感情を再確認することができます。そしてそれを繰り返していくうちに少しずつ少しずつ気持ちを整理がついていき、現実を受け入れていくことができるようになります。
大切な人を失うことは非常に悲しい事です。それを乗り越えることも、非常につらいことです。でも、それはつらい気持ちと上手に向き合いながら乗り越えていかなければいけません
参考 seseragi-mentalclinic.com/